明光寺について
浄土真宗東本願寺派 金剛山 明光寺
住職ごあいさつ
この度は明光寺のホームページをご覧いただき、ありがとうございます。
当寺は佐賀県三養基郡基山町宮浦に位置する浄土真宗東本願寺派の寺院で、 山号を金剛山と申します。地域の皆様と共に歩んでまいりました。
時代が変わっても、人の心の在り方や、亡き人を想う気持ちは変わりません。 皆様の心の拠り所となれるよう、日々のお勤めを大切にしております。
どなた様もお気軽にお参りください。
明光寺 住職 天本 正憲
寺院の歩み(由緒)
明光寺は、佐賀県三養基郡基山町宮浦にある、浄土真宗東本願寺派に属する寺院です。
江戸末期、当地丸林の農家に生を受けたご開基(俗名 天本茂左衛門)は、三十一歳の時、俗縁を絶ち沙門となりました。やがてこの地に新たに建立された東本願寺宮浦説教場に軸足を置き、教化活動にあたります。これが当山の前身となります。
明治十四(1881)年、東本願寺にて得度。「釈善可」と法名を賜りました。明治十六年六月、一ケ寺の建立を発願し、「金剛山 明光寺」の寺号出願を本山へ上申、許可されます。
明治十六(1883)年十月二十八日、四十五歳にて善可法師御往生。その四ヶ月後に「金剛山 明光寺」の寺号が国より認可されました。よって明治十六年を開基年とし、ご開基は善可法師であります。
以後、明治・大正・昭和・平成・令和と親鸞聖人の教えを受け継ぎ、地域の方々と共に歩んで参りました。
略年表
江戸末期
当地丸林の農家に、のちのご開基(俗名 天本茂左衛門)が生を受ける
三十一歳
俗縁を絶ち沙門となる。東本願寺宮浦説教場にて教化活動を始める(当山の前身)
明治14年(1881)
東本願寺にて得度。「釈善可」の法名を賜る
明治16年(1883)6月
一ケ寺の建立を発願。「金剛山 明光寺」の寺号を本山へ上申し許可される
明治16年(1883)10月
善可法師御往生(45歳)
明治17年2月(1884)
「金剛山 明光寺」の寺号が国より正式に認可
明治〜令和
親鸞聖人の教えを受け継ぎ、地域の方々と共に歩み続ける
大切にしていること
丁寧な供養
一つひとつの儀式を丁寧に行い、故人様への敬意を尽くします。
開かれたお寺
門徒様に限らず、地域の方々が気軽に集える場所を目指しています。
伝統と調和
古き良き教えを守りながら、現代の生活に寄り添った在り方を考えます。